ユーザー通信210号 8面:三井精機工業・加藤欣一新社長インタビュー
三井精機工業・加藤欣一新社長インタビュー
高精度・高機能マシンの「柔軟なカスタマイズ化」スタイルを継続
「安全で、いきいきと、誇りを持って働ける会社を目指そう」
三井精機工業(本社=埼玉県比企郡川島町/以下、三井精機)に加藤欣一新社長が誕生した。生え抜きとしては5年ぶりとなる。
「これまでいろいろな部署、仕事を経験してきたので、当然、社内のことはよく理解しているつもりだが、わかっているということは、逆に『弱点』にもなる」と加藤社長。
「ありがちなのが、話を聞く前にわかってしまう・・・などだが、相手の声を遮らず、聞く耳を持っていたい」と、プロパーゆえに、自らを律して臨んでいる。
そんな加藤社長が入社したのは昭和54(1979)年。下丸子(大田区)にあった当時の東京工場でのマシニングセンタ(以下、MC)の組み立てがスタートだった。
その当時は、いまのこの日、この立場(社長就任)を迎えようとは、「全く想像もしていなかった」と苦笑する。
「当時は東京工場に加え、桶川工場(埼玉)もあり、本社が東京・日本橋室町にあったので、上層部の人に会う機会など全くなく、会社の雰囲気もいまとは相当違っていたし、雲の上の存在。私のなかでは工場長が一番偉かった」。
そんななか、「MCの職場で凄い先輩たちを見て、早く追いつかなければと思っていた。それ以上のことは何もなかった」としたうえで、「当時はまさに、MCの創生期だった」と述懐する。
「職場も非常に若く、ジグボーラーやねじ研削盤の職場の雰囲気とは全く違っていた。MCは新しい仕事だった」。
職長、班長が30歳台の前半で、あとはほとんどが20歳台だったため、仕事とはいえ大学のサークルのような雰囲気で、「それだけに『活気』が満ち溢れていた」と振り返る。
そんな歴史の浅い職場だっただけに、「かなりの部分を任され、入社して1年もすれば据え付けに出ていた。そういう雰囲気はいまとは全く違う」。
また、「お客様もまだ初めてMCを導入されたケースがほとんどで、新人である我々にも難しい質問も投げかけられるケースも少なく、なんとか据付作業も出来ていたといえる」と続ける。
やがて3年ほどでサービス部門に異動し、ほどなくインドに4ヶ月、そのあと台湾駐在となり6年8ヶ月を過ごすなど、インドから数えて約7年間、海外でのサービスを担当した。
そんな時代から30数年が経った現在、加藤社長は自社の立ち位置について、こう認識する。
「MCは、入社当時は汎用性があって生産量も多かったが、当社は元々、高精度・高機能な機械をつくっていたので、いまは5軸機に代表されるような少し特殊性のある機械を、お客様からの直のニーズや工法を反映し、カスタマイズ化した機械として納めるスタイルが多い。このように、お客様の要望に『柔軟に』応える開発や営業の注力が続いており、これが三井精機の工作機械の特長といえる」。
一方、コンプレッサについては、他社のツインスクリューに比べかなりユニークな構造の「Z‐SCREW」は高効率・高寿命という特長をもつことから、「その意味では、工作機械もコンプレッサも特長としては、似たところがあるのは間違いない」とまとめる。
加藤社長が入社して40年、会社としては昨年が創立90周年だった。
「設計にせよ、生産設備にせよ、培ってきた積み重ねがあるので、そこを活かすとなれば、このスタイルを今後しばらくは続けていかなければならない」。
そんな同社の前年度業績は、単体売上高で工作機械が120億円強、コンプレッサが104億円。国内外の比率は営業ベースで国内6割・海外4割(仕向けベースでは5割づつと換算)。海外市場の規模では米国がトップで、9割を航空機関係が占めるという状況にある。
「工作機械は、今期はまだ注残を抱えて推移しているが、足元の受注状況は若干、スローになってきている」。
就任直後の7月1日の全体朝礼では社員に向け、細かい数字云々ではなく、「安全で、いきいきと、誇りを持って働ける会社を目指そう」との言葉を発した。
これは先述のとおり、「一品、一品、手づくり、毎回違うものをつくらなければならない(カスタマイズ化)ので『人に頼るところが大きい』ため、皆が誇りを持っていきいきと働いて、会社を盛り上げていけば、機械の性能面でも品質面でも、やはり、下を向いて仕事をしているよりは、前を向いて明るく仕事をしているほうが、良い製品ができあがるだろう」。
加藤社長は「細かい課題はたくさんあるものの」あえて、こういった意志を強調した。
加えて、現代日本で多くの企業が直面している「従業員の年齢構成がいびつ」になっている現象は三井精機でも同様であり、いわゆる真ん中の世代、「35歳~50歳台の働き盛り世代の割合が少ない」という。
「若手(34歳以下)を早く一人前の戦力にしたい。そのためには経験、高いスキルを持つ60歳以上の人たちにも、いきいきと働いてもらい、若い人たちに技術伝承していく。これがいま、会社のなかで求められていること」。
全体朝礼での発信にはまた、そういった意味も含められていた。
「個人、個人を大事にし、伸ばす。それが会社の活気になり力となる。私が入社当時のイメージも、働き方もそうだった。これが『ひとの三井』と称されるゆえんなのだろう」。
【取材メモ】
加藤社長の現在の趣味はゴルフだが、元々は野球好きで、入社後も野球部に入り、なんと50歳近くで「日工会の大会でホームランを打った!」など長らく活躍したと聞く。またテニスの経験も豊富で、意外にも野球とは「感覚的に近い」「打点の高さが似ている」「動いているボールが相手」と話は尽きない―。とにかく「体を動かす」ことに目がないようだ。
2019年8月10日